八藤紋と遊林寺

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誕生
仏教の始祖は「お釈迦様」です。お釈迦様にはいろいろな呼び名があります。釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、釈尊(しゃくそん)(釈迦牟尼世尊を略したものと言われています)、ゴータマ・ブッダ(Gotama, Gautama、goは雄牛で英語のcowと語源が同じ、tamaはもっとも優れたという意味でつまりもっとも優れた雄牛という名前だそうです)、悉達多(Siddhartha、これは名字です)、「釈迦」とは部族の名前で、本名はゴータマ・シッタルーダと言いました。

ゴータマは紀元前463年頃(今から2,500年程前)釈迦族の王子としてルンビニー園で生まれました。母マーヤが出産のため帰郷する途中休憩をとってある樹木の枝に手をかけようとしたその右脇から釈迦が生まれたという言い伝えがあります。そして生まれてただちに7歩あるいて、右手で天を、左の手で地を指し「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」と言ったという俗説があります。現在4月8日をお釈迦様の誕生日として日本だけでなくアジアの多くの地域で花まつりといって祝っています。この7歩といわれるのは仏陀は「六道」というあり方を一歩超え出た方だということを現しているのです。私たちの人生が迷いの人生に他ならないということをいい当ててくれているのです。「私は必ず尊い者となろう」という決意を表現されているということです。

王子の生後7日目に母のマーヤが死亡、父王は後妻にマーヤの妹マハープラジャーパティをめとりました。生まれて間もない頃、父王はアッシータ仙人を呼んでこの子供の将来を占わせました。すると「この王子は非常に偉大な王になるでしょう」と予言しました。

ある程度大きくなってくると王子はしばしば城の外に出掛ける。そこで彼が見たものは病める人、年老いた人、貧しい人などなどでした。この辺りの話は本行集経12に書いてあるようですが、「四門出遊」と呼ばれています。つまり、若きゴーダマ・シッタールダが東南西北の4つの門から出た時に、老人・病人・死者・出家者を見て、なぜそのようなことがあるのか悩み、閻浮樹(えんぶじゅ)の下で瞑想しました。

そんな中、17歳でヤショーダラと結婚、一子ラーフラをもうけます。しかし王子の苦悩は尽きず、とうとう29歳の時城を出て出家。アーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねます。このとき王子を城に連れ戻すべく追いかけて来た5人の従者が逆に王子に賛同しその後行動を共にすることになりました。
修行
マガダ国のビンビサーラ王に会ったのち、王子の未来を予測したアーラーラ・カーラーマ仙人、次いでウドラカ・ラーマプトラ仙人に法を求めますが納得できず、プラーグ・ボーディ山に入って5人の比丘(びく)とともに荒行に入ります。

6年後、ゴーダマ・シッダールタは苦行は何も解決しないという結論に達し、苦行を捨てて、ネーランジャナー河に行きました。ここで苦行に疲れ切ったゴータマは、ナンダバラ(スジャータ)から受けた乳粥の施しで体力を回復したと云われています。この時、近くで苦行をしていた他の修行者は彼を脱落者として嘲笑しました。しかし王子はそのような声は気にせず、ブッダガヤのヒッパラ樹の下で座禅に入ります。

そして12月8日朝、成道。彼は釈尊になりました。ここでゴータマ仏陀となられました。そしてヴァラナシー国の鹿野苑でいつも行動を共にしていた5人の比丘に法を説きます。これを初転法輪(しょてんぼうりん)といいます。ここでの教えは欲望をむさぼる行き方と苦行との両極端を捨てた「中道」の教えであり、その正しい修行の道である「八正道」の教えであったと伝えられています。この教えで五人の比丘は仏陀に帰依したのです。

伝道
これから釈迦の布教の旅が始まるのですが、これが非常に順調でした。釈迦を師と仰ぐ者達はあっという間に1000人を越えます。ビンビサーラ王も仏門に帰依して竹林精舎を寄進。シュラーヴァスティの長者給孤独は祇園精舎を寄進。この時期に有名な舎利弗や目連も帰依しています。

40歳のとき父が死去。急ぎ城に戻りますが、このとき義母のマハーブラジャーパティと妻のヤショーダラ、更に息子のラーフラも出家します。仏陀はその後も諸国を巡教、やがて上弟子にも説法を許可して各地に派遣し、仏教徒は大勢力となりました。

73歳の時、釈迦をいつも保護してくれていたビンビサーラ王が息子の阿闍世に殺害される事件がありました。しかし阿闍世は即位したのちに自分が犯した罪の重さにおびえ始め、自ら釈迦の元に行き、救いを乞います。釈迦は阿闍世に、その救いを求める心が貴方を救うのですと説き、阿闍世はその後父以上の仏教の保護者となります。

78歳の時、シャカ一族がコーラサラ国の毘琉璃王に滅ぼされてしまいますが、この時なぜか釈迦は戦おうとしませんでした。
80歳のとき旅先で釈迦は食中毒を起こします。死期を悟った釈迦は近くの村のクシナガラで娑羅双樹(さらそうじゅ)の下で休み、そのままアナンダら数人の弟子たちに見守られながら入滅。その直前に釈迦はスパドラという男を弟子にしました。釈迦の死を悲しんだ阿闍世は釈迦の弟子500人を七葉窟に集めます。これが五百羅漢であり、彼らが合議でまとめた釈迦の教えの記録が阿含経とされます。


十大弟子…釈迦の1250人の弟子の中の高弟10人。

舎利弗(しゃりほつ)/智慧第一
目連(もくれん)高弟、超能力者/神通第一
阿那律(あなりつ)眠らない修行でついに失明/天眼第一(釈迦の従兄弟)
優波離(うばり)もと理髪師/律第一
富楼那(ふるな)商人あがり/説法第一
迦旃延(かせんねん)伝道の達人/論義第一
須菩提(しゅぼだい)“空”をもっともよく理解した人/解空第一
羅羅(らごら/ラーフラ)お釈迦さんのひとり息子/戒行第一
大迦葉(だいかしょう)教団の二代目/頭陀第一
阿難(あなん)秘書役/多聞第一

update 2006/03/20 製作/管理:ono
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