三帰依文
三帰依文は、真宗聖典の表紙を開けますと、本の表題より前の一番最初のページに載っています。 江戸時代末期の仏教学者、大内青巒(おおうちせいらん)がまとめたもので、『法句経(ほっくきょう)』・『華厳経(けごんきょう)』・『法華経(ほけきょう)』の経文の一部を組み合わせたものだと言われています。
「仏」とは釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)であり、「法」とはお釈迦様が説いてくださった仏法であります。「僧」とは今日一般に言われているような僧侶ということではなく、僧伽(さんが)ということです。僧伽とは林にたとえられています。林は木々の集まったものであって、一本の木を林とは言わない。木が多く集まった全体を林というようなものだと教えられています。とすると、説法するものも、それを聞くものも、修行するものも含めた全体を「僧」というわけです。
人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぽう)に帰依し奉るべし。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。
無上甚深微妙(じんしんみみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。
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