お念仏とお経
先ず、真宗ではおつとめすることによって、亡き人やご先祖に回向するということはありませんし、自力の行でもありません。自分の称える念仏の数や称えかたによって功徳があるのではなく、すべての人を救うという仏様の誓いを信じさせていただくのだから、仏様への感謝と喜びの(仏恩報謝(ぶつおんほうしゃ))と、そのお救いのたのもしさを讃える(仏徳讃嘆)です。その仏様のすばらしいお念仏と、そのことを喜ぶことのできる人間としてのいのちを伝えて下さったかたとして亡き人やご先祖を偲ぶのです。
真宗のお経はこのホームページの「寺の紹介」の宗旨のページにも明記してありますが「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」です。 真宗の正依の経典は「仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)」、「仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)」「仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)」の三部経でこれを「浄土三部経」とよび、お釈迦様の説かれた言葉を弟子が文字に記録して遠い昔から伝えられてきたものです。私たちが拝読しているお経は「お念仏、南無阿弥陀仏」のページにも載せてありますのと同じ様に、やはり「漢訳」といって、中国で漢文に翻訳されたものなのです。拝読の間は、お釈迦様の説法を聴聞しているのと同じ厳粛な気持ちを失いたくないものです。(詳しくはそれぞれの別頁をご参照下さい。)
また、真宗では「般若心経」は決して拝読しません。「般若心経(はんにゃしんぎょう)」はわが国でも最も知られたお経の一つで、数多い般若経典の肝心なところを、わずか二百六十二文字で説かれた中身の濃いお経として普及しています。しかし、その内容はひとくちでは説明するものではありませんが、菩薩の智慧(般若)を得て、仏のさとりに近づく自力の実践行をすすめるお経なのです。したがって「いずれの行も及び難き身」という宗祖、親鸞聖人のお言葉に導かれて、いっさいの自力の行を積むことのできない、たとえ積むことができても、最後まで積み通せず仏のさとりに近づけない私たち凡夫のために、救わずにはおれないという阿弥陀如来の誓願を聴聞させていただくばかりの真宗門徒には、「おかど違い」のお経だという事になります。短くて、覚え易くて、他宗派で、あげているじゃないかといった安易な理由でこのお経を拝読するのは間違いです。安易に、他宗派では手柄となるお経の写経を行とする行為は真宗ではおよそ納得のいかない風景なのです。真宗は行によって仏に近づくということはありません。
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